Tagebuch oder ein Memorandum für einen Roman

腰の悪い母がトイレに間に合わず糞をまき散らした。

彼女はいつものように風呂場で手洗いした後、洗濯機に突っ込んだ。彼女は不自由な体の、洗ったばかりの尻に下着を履かせた。充満した臭いのことを言うと、激昂した。私が先日勧めた整腸剤なんか飲ますからこうなったのだ。その男(これは私を二人称的に指す三人称だった)が買ってきたジュースのせいで腹が下ったのだ。和室に散らかっていた督促状などの書類を手に取ってこれは誰がここで散らかしたのだと我々に詰問した。これは、のせいにちがいないなどと私の中学校時代の知り合いの名前を出し、ののしった。また、ルーズリーフに水色の蛍光ペンで書かれたポンチ絵みたいな図を手に取り、この土地についての覚え書は、○○△が書いた、馬鹿だあれは。なんで黙ってこんなになるまで書類をここに溜めた?確かに彼女の万年床にかかったチーズ臭がするワインレッドの吐しゃ物(一体何を食べたのだろう)を漂白剤と熱湯で除染し、新しくニトリで布団を買って敷いた時に部屋にある彼女の私物を触ったかもしれない。だが、彼女が書類を取り出して何か思慮深そうにメモの一つを見つめていたのを私は見ている。完全にいかれているなと私は思った。完全にいかれているのはお前だよ。その目つきに対して怒りが噴き出しそうになったとき、父が、相手をして責めたりしたら、悪化するから止めなさいと静止した。

自室に戻った私のところへ父が来た。これから介護が本格的に必要になること、そうなる前に父が死んだら、母の面倒は私が看なければならないことなどをさとすように深刻そうな表情で言った。「母はあれだけお世話になった人に呪詛の言葉を吐いている以上、どれだけ悪業を積んでいるのだろうね」と付け加えた。「悪業」というのは父が熱心に信仰している宗教の教義で、信仰を同じくしている者たちの悪口を言うと、その罪を負って地獄に落ちるというものだった。父の思考には、こうした教義がナチュラルに内面化されていたので、それを聞いた私は思わず吹き出してしまった。と同時に、思考の型についてのこうしたメタ認知を母にも敷衍するならば、彼女にも過剰に分泌されたドーパミンが伝達する情報がどのイドラの言説よりも「真理」であり、常に「真理」に開かれ、かつて存在したどの巫女にも勝って「真理」の託宣を受ける構造にあると言えるだろう。